2020/11/19 振り返る

なぜか今ラオスにいる。

いや、なぜかというのは適切じゃなくて、もちろん理由があって自分で選択した。

原因は自分ではないんだが、まぁここで語る必要はないだろう。自分が原因ではないことに対して行動することに抵抗がなくなったのもここ最近のことで、確かな変化だと思う。

 

ところで、何を振り返るのかということだが、この部屋に着いた瞬間には排水溝から下水の匂いが漂っていたガラス張りのシャワールームでシャワーを浴びながら、さっき考えていたことだ。

 

つまり、何を諦めてきたのかということ。

本当は将来のことを考えていたのだけど、いつの間にかそうなっていた。

 

親父に、最近は自分の仕事と併存できるならば、親父の仕事の一部を担っても良いと考えていることを伝えようと思っていたのだけども、そもそも今の環境がそういったことを許すのかと疑問が出てきた。会社が許さなければ個人で請け負えばいいやとも考えていたけれど、それも委託元の候補からすればどうなのか、自分にそれ程の有用性と希少性があるのだろうかという気になってきた。

一年半程掛けてきた仕事で、確かに結果は出したのだけど、それが一体何なのだろうか。そもそも、何がやりたかったのか。

 

大学時代は建築の勉強をしていて、一つは美大が面白そうだと思って入学した。選んだ当初は漠然としたものだったが、入学した初期は、どんなに短時間で考えたことでも発表すると一つのシステムや現前する考え方のように映るところに面白みを感じていたのだと思う。但し2年目にしてそれは突如として限界を迎え、建築そのものという課題にぶつかることになった。つまり、建築とは何かということ。その問いに答えるためには、建築という今まで考えたことのない存在に対してアプローチせざるを得ず、今まで自分の中に包括されていた気になっていたものが突如として異化して目の前に現れ、理解し対抗する術を持たないことに打ちひしがれてしまった。これを、自分という存在が世界から爪はじきにされたように感じていたのだろう。そしてそれが社会という姿をしているという風に勘違いしていた。さらにまずいことに、僕には「物理的に構築する」ということにおいての実務的な能力が著しく低かった。

この件については、まぁその後について大きく語るところはない。大旗さんと出会って友達になったことで、自分も世界に含んでくれる人間が建築をしてくれるならば、それを自らやる必要はないと感じてしまったことが、一つのまとめだと言えるだろう。今思うと自分の考え方の癖だと思う。

 

さて、その後の紆余曲折ののち、僕は自分というものを再起動させるためにとにかく当時興味のあることに取り組もうと考えた。それが家具だった。

純粋に最も興味のあることだったかと言われれば、どうだろうか。言葉を使った表現と、機能と非機能が一体となった立体物の製作と、どちらも興味があった。というか自分のなかで取り組みたいことだった。ただ、言葉を使って生活するというイメージができなかった。職業として思いつくのはコピーライターくらいだったが、なんとなくそれでは今までのままドツボにハマりそうな予感がしたし、建築の模型バイトをしていたので、立体物を作って賃金を得ることはなんとなくできそうな気がしたし、立体表現というものや考古学に近しい民藝の考え方に傾倒していたのもあった。

 

で、そこに至るのもまぁ色々とあったのだけれど、結局僕は家具職人になりかけた。

なりかけた というのは、一応はなったのだけれど、辞めた。表向きは社長と折りが合わなかったという理由なのだけれど、実際のところはどうだろう。

僕が辞めた時の気持ちはこうだ。「社長の言っていることが正しくない、許せない、ということよりも今我慢して家具職人として独立して好きなように好きなものを作りたい という気持ちを優先できなかった。」

これには自分自身とても傷ついた。家具を作ることが好きではなかったのではないかという疑心暗鬼にも陥った。

結局は、自分の気持ちを優先して組み立て直して得た環境や時間でさえ、他者から糾弾されることで奪われ、また世界から爪はじきにされてしまったと感じたのだ。また、結果的に自己否定するような行動をしてしまったわけだ。

 

そして、その後はそうやって恣意的に選択をすることをやめて、今になる。

 

今になって振り返って、この時のことは一体何だったのだろうか。

それが分かったような気配がしたので振り返りたかった。

 

続く